HMC

Genshoji

Buddhist temple in Eiheiji

Updated: March 16, 2024 01:44 PM

Genshoji is located in Eiheiji (Town in Japan), Japan. It's address is 1-105 Maruokacho Kumando, Sakai, Fukui 910-0347, Japan.

1-105 Maruokacho Kumando, Sakai, Fukui 910-0347, Japan

4769+JP Sakai, Fukui, Japan

+81 776-66-1920

genshoji.com

Questions & Answers


Where is Genshoji?

Genshoji is located at: 1-105 Maruokacho Kumando, Sakai, Fukui 910-0347, Japan.

What is the phone number of Genshoji?

You can try to calling this number: +81 776-66-1920

What are the coordinates of Genshoji?

Coordinates: 36.1115336, 136.2693172

Genshoji Reviews

Kazuha Saito
2017-05-04 06:52:27 GMT

なによりも贅沢な時間と場所がありました。

時間も人の目も気にせず、
縁側でぼーーーっとしたり、
ふらふらと川沿いや土手を散歩したり、
道に寝転がって星を見たり。

地元に帰ってきたような安心感と開放感でいっぱいになりました。

この場所だからできること
この場所だからできる会話が
たくさんあったように思います。

特に、
周りに高い建物がないからこそ、
たくさん明かりがないからこそ見られる
広い星空は、今までで一番綺麗でした。

線香の懐かしい香りがする空間で、
心の赴くままに、したいことができる。
そんな場所だと思います。

玄性寺に行くために、
また福井を訪れたいです^^

長田政也
2017-09-17 06:00:02 GMT

心が洗われる時間をいただきました。
本堂も素敵で、心安らぐ場所です。

お寺と聞くと、どんな時に行くところなのか、若い子はあまり理解してないかと思いますが、

このお寺はどんな時でも受け入れてくれるお寺です。苦しい時、悩んでる時、忙しくて心が荒れてる時。
訪れてみて、霊河家の皆様とお話ししてみてはいかがでしょうか。

どことなく、自分の居場所のような穏やかな気持ちにさせてくれる、そんな場所でした。

またこれからも定期的に伺おうと思います。

kai sasaki
2018-05-14 04:58:47 GMT

「何もしないをする。」そんな言葉が似つかわしい素敵な場所でした。心からゆるりと脱力し、何も肩ひじ張らずに過ごせるのは、そこにいる人が素敵だからでしょう。「ただいま」を言いたい大好きな場所が出来て嬉しいです。ありがとう。

Yuka Shinozaki
2017-05-02 06:46:03 GMT

なにかしなくちゃと思ってしまう時代だけど、温かい住職さんの話を聞きながら、ぼーっとしながら、心の余裕というか、余白がもてるお寺です。何回でも帰りたくなります。絶対また行かせていただきます♪

Hideyasu Suzuki
2017-03-17 09:15:36 GMT

"「のんびり」できる、すてきな場所。"
時間を忘れて、ボーッとできる。日の当たる縁側で、考えていたことすべて忘れて、のんびりできる。色々リセットされて、スッキリできる。お寺の見方も変わる、そんな場所。

杉原悠介
2017-05-02 14:39:11 GMT

日々の生活では感じられない、ゆったりとした余白のような時間が流れる素敵なお寺です。

何もないけど、全てがあるような充実感と幸福感に満たされます。近くに綺麗な川があったり、縁側でお昼寝したり、思い思いの過ごし方ができます。常に何かしらやることがある状態で過ごしている日々の中で、何もせずただぼーっとするということはとても価値のあることだと思います。そんな豊かな時間を過ごせる場所が、玄性寺です。

Nagisa Tashiro
2017-10-30 09:30:41 GMT

3回目の玄性寺☺。

初めて玄性寺に伺った際、今まで感じたことのない幸せと豊かさを感じました。隅々まで綺麗に整えられたお寺の中で、境内で採れたお野菜を使った美味しいごはんを食べたり、縁側で友人と語り合ったり、ただぼーっとしたり。お寺の前には稲穂が広がっていて、空が広くて空気が美味しくて。そしていつ行っても温かく迎えて下さるお坊さんがとても素敵で。

心がほぐれてとても穏やかな自分に気づいた時、普段どこか緊張していたことに気づきました。風景に感動したり、何もない時間をただぼーっと過ごしたり、そんな時間を味わえることがとても幸せで。

普段予定や仕事でぎゅうぎゅうで、自分で自分の首をしめてたんだなぁと思いました。
忘れていた幸せや豊かさに気づけました。いつでも帰りたい場所です。☺

増田隆洋
2017-12-06 15:11:25 GMT

心を落ち着かせられる場所。
都会の喧騒に疲れた人も、非日常を味わいたい人も、なんだか一息つきたい人も立ち寄れる、そんな場所でした。
住職のギターも聞くことができる?!ので、普通のお寺とは違って、敷居は高く無く、気軽に立ち寄れます。
1人で行くもよし、みんなで行くもよし。
昔ながらの、ちょっと立ち寄るお寺、相談に乗ってくれる人がいるお寺、そんな雰囲気の場所です。

RYO S
2016-08-26 12:40:10 GMT

【都会の喧騒を離れ、自分を見つめ直したいときの玄性寺】
2016年の8月末、
玄性寺に一泊二日で滞在させて頂きました。

1年ほど前に玄性寺の存在を知り、1度行ってみたいなぁと思っていたところ、タイミングよく玄性寺17代目霊河太樹さんにお誘い頂き、東京から福井駅まで夜行バス、福井駅からえちぜん鉄道で越前島橋へ、そして玄性寺に到着しました。

はじめにぐるりと玄性寺を案内してもらいました。
まずは、本堂へ。
玄性寺の本堂では地域の方たちが集まり、映画鑑賞会やプロのミュージシャンの生ライブなど、お寺としては新しい形でも人が集います。
(住職さんもギターを弾き演奏されるそうです。)

また、お庭には畑や果物の樹があり、季節の野菜や果物がたくさん取れます。
(毎食採れたてのトマトにきゅうり、リンゴやナスを頂きました。とても美味しかったです。)

そして、玄性寺のまわりは自然に溢れています。
歩いて数分のところには、九頭竜川があり、
アユ釣りなどでも有名です。
ちょうど良い深さで、おおいに川で遊びました。
夜寝るときは、窓を開けて気持ちの良い風を感じ、虫の鳴き声に包まれて眠ることができました。

自然いっぱいの玄性寺。
しかし、何よりも玄性寺・霊河家の皆さんのお陰で、心休まるときを過ごすことができました。
現住職のお父さん、今までで一番美味しいナス料理を作って下さったお母さん、お姉さん、そして、17代目太樹さん、本当にありがとうございました。

自然に触れ、人の温かさに触れ、
身も心もリフレッシュされました。
必ず、また遊びに行きたいお寺です!

西田実弘
2017-12-04 04:06:01 GMT

お寺の概念をぶち壊され、生きていることの有難みに気付く、そんな素敵な場所です。

お寺というと、敷居が高い・厳しい・一般人お断り、という旧来からのイメージがあるのではないでしょうか。
玄性寺は、そんな固定概念を見事に打ち砕いてくれます。

浄土真宗はおろか、仏教のことすら十分に理解していない若造を、暖かく受けいれて下さる、住職ご一家の皆さん。
のどかな風景に囲まれ、鳥のさえずりを聞きながら、暖かい日差しが降り注ぐ縁側でくつろいで、「何もしない」ということをする贅沢。
極めつけは、住職さんが持ち前の美声を存分に発揮されて行う、ギターの弾き語りによる説法。
自分の中で、住職の概念が見事に覆された瞬間でした。

忙しない日常を送り、心の余裕をなくしがちな現代人にとって、きっと羽を休め、自分の生き方・人生を振り返る、素晴らしい機会になるでしょう。
合掌。

Pisa
2017-09-12 10:12:06 GMT

【ほんのうに点々つけたらぼんのう】

***
「お寺に行く」というと多くの人は「修行に行く」というイメージを持つらしい。実家の玄関口で、そもそも浄土真宗においては修行がないと、母への説明責任を果たしたつもりでいた。では、何をしに行くのかという当然の疑問が投げられる前にエレベーターに乗ってしまった。事実、わたし自身、わざわざお寺に行く確固たる理由など良くわかっていない。

***
事の発端は、仲良くさせてもらってる坊さんからの誘いからだった。彼の好きな人を呼んで合宿のようなものをしたいという趣旨の提案を受けた。年に数回はやっているらしく、今回は三連休で関東・関西から学生・社会人が何時間もかけて福井の寺まで集まるとのことだった。新幹線の切符を買い、博多駅の改札をくぐったときには、仲良くしてる坊さんとその友達と談笑している姿が頭にぼんやりと浮かんできて、心が小さく踊った。

***
どうも坊さんと仲が良いというのは珍しいのだろう。特に、都市に住んでる若者にとっては殊更だ。ひょっとすると冠婚葬祭に際してしか真面目に関わることもないのかもしれない。実家を出る間際に見せた母の奇妙な面持ちも理解できる。ぼくもひょんなことから出会って仲良くなった。確か、その時は女性関係で苦しんでいて、その話を彼は自分ゴトのように黙って聞いてくれた。これが、ぼくの坊さんの概念を壊す体験だった。良くも悪くも彼からは全く坊さんの匂いがしない。ふつう説法で聴くような聖典のはなしも無ければ、煩悩から完全に解放されている様子もない。新鮮だった。

***
彼の宗派である浄土真宗を開いた親鸞さんは、素人目から見れば生臭坊主だ。当時、タブーとされていた妻帯も飲酒も自らがやっていた。ある意味それが人間臭い。その人間臭さがすごく煩悩まみれである自分を安心させるのも本当である。

***
玄性寺という特別な空間は何か非日常だった。夜中に、縁側でハイボールを飲みながら住職の美声に酔いしれると言った感じの非日常だ。現代風に言えばエモい空間だった。非言語的な部分でしか語り得ぬ部分が非常に多く、改めて振り返りこの体験を筆を執り書こうとしても、寺から帰って来てはや2ヶ月経とうとしているのにもかかわらず1%も書けない。

***
1つ、いや2つほど印象に残っている言葉がある。ふと人間の煩悩という話になったときに、「ほんのうに点々つけたらぼんのう」だという言葉をいただいた。なんせ、ハイボール片手に聴いた住職のありがたい言葉だけに全く文脈や解釈はわすれてしまったが、今ではなんとなく、自分が必死に煩悩を消そうと奮闘しているのは実は最も愚かなことで、向き合って上手く付き合っていくしかないのだ、なぜなら人間と人間以外を分かつと言われている理性というものですら、たかだか「点々」くらいの違いなのだからというように理解している。あくまで個人的な理解だ。

***
こんな非日常的な環境があったからこそ、一緒に行ったみんなとは何気なく普通の出会いよりも強い紐帯で結ばれている気がする。そう言えば、先日、東京でそのうちの1人に会ったときに、住職の別れ際の言葉の「この非日常を日常に持ち込んでみてください」という言葉に感銘を受けたと言っている子がいた。なるほど、なにか玄性寺に行くという行為は日常にも連続性のある行為に見えて来た。

***
結局、玄性寺に行く理由なんてこの数ヶ月考えても言語化できず、すっかり参ってしまった。しかし更に参るのは、また行きたいと思ってしまうことだ。心の底から。

青木大和
2019-01-29 13:21:09 GMT

訪れる度に自分を見つめ直す時間、自己の未来と過去を探求する日々、お寺へと足を運ぶ度に自分の成長を知れる、そんな日々でした。
住職ともお話しさせていただき、若院とは濃密な時間を過ごさせていただきました。
あと人生で何回訪ねることができるのか、そんなことに思いを走らせながら日々を大切に生きていこうと強く思わせてもらったお寺でした。
皆さまにも是非足を運ぶ機会があることを願っております。

d tg
2017-10-27 04:30:39 GMT

時間に追われる日々・雑踏から抜け出し、
心の休養をとることができました。

お寺の雰囲気や自然、空気感、人、全てに包容力がありバックグラウンドなど関係なく受け入れてくれるような、そんな場所でした。

法要での弾き語りは心にくるものがあり、
浄化されたような気分でした。

気持ちは軽くなり前向きになれました。
定期的に訪れたいです、
ありがとうございました。

N Asami
2017-05-03 11:10:35 GMT

【住職さんも、”ひと”なんだって、感じる場所。】
------------------
住職さんと一緒に、
重低音の効いた音楽に包まれながら、
畳にごろんと横たわって、
何の目的もなくゆったり話せる場所。
------------------
.
.
「住職さん」や「お寺」と聞くと、
なんだか格式高くて、
ついつい身構える自分がいる。

そんな自分の鎧が、
みるみる内にほぐされていく。
.
.
16代目、17代目住職さんと一緒に、
食事を味わい、
音楽を味わい、
景色を味わい、
空気を味わい、

なんだか自然と、
「僕たち、生きてるんだなあ」と感じる。
.
.
そして何より、
一緒にいろーーーんな話をする中で、

「学生も、会社員も、住職さんも、
みーーーんな、悩んでるんだなあ」

「みんな、おんなじ、”ひと”なんだなあ」
と感じる。
.
.
そんな、「ひと」であることを、
いつのまにか味わっている、
素敵な場所です。

これからも数十年、
ゆったり通い、
ゆったり味わっていきたいです。

島村美都希
2017-05-03 04:56:39 GMT

「何もせず、こころのゆとりのある時間にしてください。」

本当にその通りにゆっくりできました。自然の音が聴こえて、畳の上でぼーっとしているといつのまにか寝ていました。数分寝ただけなのにすごく気持ちがすっきりして体力が回復しました。

そして何よりも優しい方々。暖かい言葉、声かけ本当に本当に感謝でした。

心を休めたいとき、ゆっくりしたいとき、自然を楽しみたいとき、辛いとき、楽しい時、仲間でいたいとき、1人でいたいとき…そんな時にとてもいい場所だと思います。

すごく大切な時間になりました。ぜひまた行かせて頂きたいです^ ^

Matsuura Yuka
2017-04-06 12:33:08 GMT

「何もしないことをしてください。」
福岡から訪れた私を、満面の笑みと共に出迎えてくれた第一声がこれでした。流れる時間に身を任せていると、日々の忙しさの中で忘れてしまっていたものが蘇ってくるようでした。食卓をみんなで囲んで、美味しいお味噌汁をおかわりしたり、畑でキャッチボールをして草まみれになってみたり、縁側でぼーっと日向ぼっこしたり。幸せな時間が凝縮された空間が玄性寺にはありました。運良く参加できた「お寺でライブ」では、優しい声がすぅっと染み入り、どれだけ上を向いても涙がぽろぽろしました。何もしないことをするために、きっとまたお邪魔させてください。

Yuki
2016-10-12 08:39:29 GMT

素敵な自然と、興味深いお坊さんがいるお寺。現住職の方が「歌うお坊さん」として有名で、法要の最後にアコースティックギターで弾き語りをしてくれることが多い。
色々な世代・幅広い人が集まる新しい寺のあり方を、次の住職である息子さんと一緒に模索されている、片田舎にある最先端のお寺。近くに立ち寄られた時は是非ふらっと行かれることをお勧めします。

maaya mizuta
2017-10-26 09:33:37 GMT

何度行っても、尊さを感じさせてくれる場所。
ただ生きているだけで、幸せで、
豊かで、何もいらないって
足るを知る気持ちを思い出させてくれる。
本当に、いつも、ありがとうございます。

ここに通わない人生は考えられないなあ。

毎年、何度も、この場所に挨拶しに行くことで
素直な気持ちと、
本当に大切にしたいことを
握りしめなおせていることに
心から感謝です。

吉野謹也
2017-09-26 14:29:42 GMT

空が広く高く、陽は温かく、緑が映え、風の匂いが心地良く、虫が鳴き、水がせせらぐ、もしかしたら当たり前かもしれないけれど、そんな当たり前のものをどこよりも強く鮮明に感じられる場所です。

ほっとひと息、ひと休みすることをそっと優しく許してくれる、そんな場所です。

そして、色んなことを脇に置いて、腰を下ろして、何も考えず、何もしない。そんな時間を過ごすことを許してくれる場所です。

来る者迎え入れ、去る者を送り出す。
そんな場所です。

清光陽介
2016-08-01 10:19:31 GMT

一旦立ち止まり、大きく呼吸をし、再度ふみだせる場所

都会のノイズの中で生きていると、日々が一瞬のうちに過ぎていく。
それらの生活の中で、忘れがちなもの、例えば

何かを感じとるということ
大きく息をするということ
誰かを愛するということ

言語化し辛い大事なことを、ここ玄性寺は思い出させてくれる。
定期的に帰って来たくなる第二の故郷。最&高。

Write a review of Genshoji


Genshoji Directions
About Eiheiji
Town in Japan

Eiheiji is a town located in Yoshida District, Fukui Prefecture, Japan. As of 1 March 2018, the town had an estimated population of 18,746 in 6,262 households and the population density of 200 persons per km². source

Top Rated Addresses in Eiheiji